バルセロナ・オリンピック(1992年7月25日から8月9日)、ドリームチーム(アメリカ代表)の参加で多いに話題になったが地元スペインチームは問題を抱えたまま大会に入ってしまっていました。
大会フォーマット
参加12カ国がグループAとBに分かれて、総当りのリーグ戦で各組6チーム中4位までが決勝トーナメントに進む形、各組5-6位の4チームが9-12位決定戦を戦う。
グループA
アメリカ
クロアチア
ブラジル
ドイツ
アンゴラ
スペイン
グループB
CIS(旧ソ連)
リトアニア
オーストラリア
プエルト・リコ
ベネズエラ
中国
大会メンバー
Jordi VILLACAMPA
ジュベントゥット所属
José Ángel Arcega
サラゴサ所属
José Biriukov
レアル・マドリード所属
Rafa JOFRESA
ジュベントゥット所属
Andrés JIMÉNEZ
F.C.バルセロナ所属
Santiago Aldama
サラゴサ所属
Tomás JOFRESA
ジュベントゥット所属
Xavi Fernández
レオン所属
Alberto HERREROS
エストゥディアンテス・カハ・ポスタル所属
Juan Antonio Orenga
エストゥディアンテス・カハ・ポスタル所属
Quique Andreu
サラゴサ所属
Juan Antonio San Epifanio
F.C.バルセロナ所属
HC
アントニオ・ディアス・ミゲル
Antonio Díaz-Miguel
1933年2月21日生まれ
大会成績
1次リーグ
スペイン 74-83 ドイツ
→ ジョルディ・ビジャカンパが35分間で21得点
スペイン 101-100 ブラジル
→ ビジャカンパが25得点、チャビ・フェルナンデスが18得点
スペイン 79-88 クロアチア
→ ビジャカンパが19得点、ラファ・ジョフレサが15得点
スペイン 63-83 アンゴラ
→ ビジャカンパとチャビ・フェルナンデスが16得点ずつ
スペイン 81-122 アメリカ
→ アドレス・ヒメネス32分間で23得点7リバウンド6アシスト3スティール
→ ビジャカンパは34分間で15得点
スペインはA組1勝4敗最下位で順位決定戦へ
9-12位決定戦
スペイン 95-81 ベネズエラ
→ アルベルト・エレーロスが29分間で25得点
→ ビジャカンパが32分間で21得点
→ キケ・アンドレウが40分間プレーして14得点9リバウンド3アシスト6スティール
スペイン 78-75 アンゴラ
→ アドレス・ヒメネス15得点、ビジャカンパ13得点
大会前に14試合の強化試合をおこなった
5月22日 対ウクライナ(レオン) 103-109
5月23日 対メキシコ(レオン)110-68
5月24日 対スロベニア(レオン)89-78
5月27日 対ギリシャ(トリエステ/イタリア)95-94
5月28日 対イタリア(トリエステ/イタリア)96-70
5月29日 対クロアチア(トリエステ/イタリア)96-109
ここまで代表参加していたホセ・アントニオ・モンテロ、イスマエル・サントス、ゴンサロ・ガルシア、フラン・ムルシア(1970年11月14日生まれ)、マネル・ボッシュ、アルトゥーロ・ジョピス、ミゲル・アンヘル・レジェスなどをカット
6月12日 対ブルガリア(マジョルカ島)74-68
6月13日 対クロアチア(マジョルカ島)72-91
6月14日 対イングランド(イビサ島)94-81
6月15日 対リトアニア(イビサ島)97-107 / ペップ・カルゴルをカット
6月16日 対クロアチア(セビーリャ)82-88 / パブロ・ラソ、フェルナンド・ロマイ、フアン・アントニオ・モラレスが最終カット
— ここから先はほぼ最終メンバー決まっていた —
6月21日 対アルゼンチン(サンフアン/プエルト・リコ) 82-75
7月18日 対プエルト・リコ(アルメリア) 86-99
7月19日 対プエルト・リコ(グラナダ) 69-64
※6月24日にストライキの記事
※フェラン・マルティネス、アントニオ・マルティン、フアン・アントニオ・モラレスは怪我による不選出と記事あり